映画の話、『聖者たちの食卓』

 ギリシアの映画監督テオ・アンゲロプロスが死んでから、何となく映画からは遠ざかっている。どういう新しい映画がでているかも、ほとんどフォローしていない。
 今日は時間があったので、気晴らしに何か軽い映画でも見てみようと思い、Amazonプライムというもので映画を探してみる。無料のものしか選ぶことができないのだが、たまたま『聖者たちの食卓』(ベルギー、2011年)という映画が目にとまった。
 インドシク教寺院における無料食堂の話のようだ。登場するのはインド少数派のシク教徒、とすれば舞台インド北西の辺縁古代インダス文明の地でもあるパンジャーブ未知の遠い風景と人びとの生活一時的に浸る映画的小旅行には、申し分ないと思われた。早速見始めることにした。
 映画は、抜群に面白かったシク教総本山の寺院毎日10万人分の食事が無償提供されているのだが、それがどのように準備され提供されているのか、というのが映画の内容。地域社会の全員が巨大なシステムの中で何らかの小さな仕事を受け持ち、社会全体は豊かではないが飢えに困ることはない
 映画を見る限り、非常にうまくいっているようにみえるが、課題がない社会はない理想の社会もない。ある社会の良い面を、そのまま別の社会に移植できるわけでもない。何か良い社会を見つけたいということではなくて、この映画を見て分かることは、社会の運営原理は(私たちが知っている)ひとつだけではない多様である、ということである。また、ある社会がうまく機能 work する、とはどういうことか、ということも分かる。それは、何かが欠けたり入り込んで来たりすれば壊れるものでもある。
 久しぶりの映画は、映画の力を感じる一作だった。GDP市場経済民主主義制度だけが社会の評価の基準ではない、という面白くもない常識も実感できる。
 しかしこれは、僕が映画に疎い、というだけの話で、誰もが既に知っている古い話をしているだけなのかもしれない。

※ この寺院も今回のコロナ危機で、苦境の中にある。

73.都合のいい用語、無自覚0シナリオの結果、病院単独危機、これからが本番

 政府発表も含めて、コロナ感染の第二波第三波という言葉をよく聞くが、これは事態を正確に認識することから遠ざけるためだけの言葉であり、使用しない方がよい
 強い自粛をすれば、感染の伝播が強力に抑えられ、自粛を解除すれば、再度感染が拡大し始める。ただそれだけのことである。「一時停止」をすれば感染は止まり、「再生」すればまた感染が始まるのである。
 第二波第三波と言えば、対応をうまく行って今回は感染が収束今後どこからか自然発生的にやってくる感染の襲来に備えよう、といったような印象が醸し出されるが、実際のところは、中国の武漢で一度始まった事態がそのまま変わらず続いている、というだけのことである。第二波第三波と言ってみたところで、本質的な変化は何も起きていない
 なぜ自粛をして、なぜ自粛解除になるのか、というようなことは考えてみない無自覚0シナリオに見合った用語である。政権にとっては、事態にうまく対応できないことを、自然災害の繰り返しの様に思わせることができるので、好都合な言葉だろう。
 本来は、今後の大きな見通し(シナリオ)を決定し国民全体が方向性を自分でよく理解し考えられるようになることが第一である。といっても、そのようには進んでいかないようなので、一市民としては、当面無自覚な0シナリオに付き合っていくより仕方がない
 今後の方向性を提示する、先手を打った下からの議論が非常に弱いため、国や大手企業が今回の危機を奇貨として、自分に都合のいいショックドクトリンへと動き始めたのは言葉の端々から分かるようになってきた
 医療機関の当面の対応としては、院内感染への対策が最重要である。地域の住民は、すでに一旦何かが終わったと思って行動し始めており、正確な感染対策情報も広報されていないPCR検査に関しては、(「感染収束後」地域としては当たり前ではあるが)保健センターからの検査依頼は徐々に減っており、民間企業への検査依頼経路は拡大されてもおらず、近くにPCR検査センターができるという話も伝わってこない。要するに、医療の末端の一員にとっては、以前とまったく同じ状況保健センターが検査の窓口という状況のままである。この1-2ヶ月は感染流行状況の事前確率と、患者、社会の自粛具合から考えれば、患者がコロナ陰性と判断するのは検査をしなくても容易であったが、今後はそういうわけにもいかなくなる地域の感染状況把握のための指標も利用できないままである。このような状況では、いつの間にか入院患者の中にコロナ陽性患者が紛れ込んでくるのは自明である。
 コロナ患者が紛れ込んで、院内に感染が拡がった場合、高齢者がたくさん亡くなるのは既に証明済みなので、感染の拡がり具合に応じて、外来閉鎖病棟閉鎖病院閉鎖に追い込まれることは十分予想される。
 それが地域での感染拡大期であれば、そのような病院危機医療機能停止が、地域の医療崩壊の引き金となっていくかもしれないが、地域での感染流行状況が低調であれば、当該病院単独の病院危機となるだろう。無自覚な0シナリオ政策が採られている以上、院内感染が起きたのは当該病院の自己責任として、財政的な支援も受けられず病院単独危機として苦境に立たされるのは明白である(介護施設も同様)。
 医療機関のできる対応としては、どのような患者が後からコロナ陽性と判明しても接触・飛沫基準で自動的に自宅待機にならない(エアロゾル基準では仕方がない)、職員の自宅待機の連鎖を防ぐ、という日常的な感染対策に知恵を絞っていく以外にないだろう。被害を最小限に留め医療・介護機能の喪失病院危機に陥らないようにするのが目標である。
 地域社会と同様に医療機関内でも、何か危機が去りつつあるという空気が拡がって来ているが、それは大きな間違いだろう。「感染収束後」地域の医療機関にとって、むしろここ1-2ヶ月の期間が最も安全な準備期間・練習期間だったといえる。これからの方がよほど大変である。

72.ひとつの空想、歴史的集団免疫記憶

 何も書いていない世界地図に、各国の100万人当りのコロナ死亡数累積災害規模)を書き込んでみる(数値は5/17COVID-19 CORONAVIRUS PANDEMIC による)。すぐに分かるのは、100万人当り死亡数の大幅な違いである。国によって2桁から3桁の違いがある。発表されている統計数値が信用できないという可能性も当然あるが、ひとまずは現在分かる数値で話を進めてみる。
 地図を眺めて分かることは、国によって大幅な違いがあるということだけではなく、その地域分布である。東アジアから東南アジア、南アジアにかけての死亡数が圧倒的に少ない。そこから概ね同心円状に遠くなるにつれて100万人当りの死亡数が増加していく。
 おそらく、このような死亡数の大きな差異を、各国の社会的な対策・方策の違いだけで説明するのは困難だろう。もちろん異なる対応が異なる結果を生むというのは当然であり、スウェーデンその周辺国との数値の差などは、それで説明できる。
 その他にも、死亡数の違いを考えるにあたって、伝播の経路人口密度高齢化率気候・自然環境ウイルスの変異など、様々な要因を考える必要があるだろうが、このような地域的グラデーションを説明するには、生物学的差異文化的差異などが影響している可能性も当然考えていく必要があるだろう。この違いの謎を解くことは、今後の見通しや対策を考えるにあたって重要と思われるが、(単なる数値の間違いということも含めて)今のところ明確な答えは出ていない。

 もう書きたいことは、以前の通信の中で既に書き終わっているので、ここから先は単なるブログ的空想である。
 (数値が信用できるかという問題はあるが)タイミャンマーは、100万人当りの死亡数最も低い国に属している。タイ族の起源は、もともとは長江以南の中国南部とされ、雲南辺りから、現在のタイの地まで移動してきた。ビルマ族の源流中国青海省付近とされ、歴史的にも、南詔大理中国南部の雲南と関係が深い。
 今回のコロナ感染症は、中国の食文化とも絡んだ動物由来の新興感染症とされているが、100万人当り死亡数地域的傾向から考えると、中国文化圏から東南アジア南アジア世界人類にとっては、これまでの長い歴史的交流の中で、何度も曝露経験のあるウイルスそれほど未知のウイルスではない、ということなのかもしれない。
 中国文化圏東南アジア南アジア歴史的な一体化文化的・経済的な交流が、この地域の人びとの身体の中にコロナウイルスに対する歴史的集団免疫記憶を形成し、今回のコロナ感染の災害規模を小さくすることに役立っている。というのが、0シナリオ集団免疫シナリオの行く末を考えるにあたって、頭に置いておいてもいい空想かも知れない。

ヨーロッパ アメリカ大陸
アジア

71.PDF

 ブログ形式では読みにくいので、PDFにしてみる。

70.現在起こりつつあること

 今後の社会はどういう方向が望ましいか、という議論は展開した。しかし、現実が望ましい方向に行くとは限らない。むしろ、そうならないことの方が多いだろう。最後に現在の状況を眺めて、議論を終わることにする。
 現在為政者は、自分が0シナリオをとっているのか集団免疫シナリオをとっているのか、それもよく分からずに、何となく緊急事態を全国一律に拡大し、何故拡大したのかも分からないので、何となく解除する。解除された方も、何故緊急事態が全国一律に拡大されたのか、そして、何故解除されるのか、も分からないので、何となく不安、とは思いながらも、普通に生活し始める。もちろん、ある程度の感染対策は行うが、きちんとした感染対策の知識も与えられていないので当然不十分な感染対策しかできない。解除するにあたっても、いまだ市民が自分で地域の実情を把握するためのデータも出ておらずいまだPCR検査能力の大幅拡大もできていないので、またいつの間にか感染が増え始め、気付いた頃には感染はだいぶ拡がった後また慌てて緊急事態を宣言する。そもそも収束の見通しを持っていないので、続けて起こる大規模な経済破壊・生活破壊に対しても、緊急支援策は出し渋るしかない、ということになっていくだろう。
 このままでは、社会は何度もの大打撃を受けながら二極分化してしまう。この危機にうまく対応できた者対応できなかった者。未来のあるべき姿が指し示されていない以上、この危機にうまく対応した、ということは今回の危機を自分の利益追求に利用した者、ということになるだろう(コロナ・ショックドクトリン)。
 現在この国が選択しているのは、無自覚な0シナリオである。0シナリオであるので、自粛再開後の計画などはない。これまでの生活を享受し、感染が爆発すれば、また自粛するのである。0シナリオをとる当然の結果である差別構造目立ち始めている
 しかし、程度の差はあれ、実際は、世界も無自覚な0シナリオを採用している。集団免疫シナリオに、根本から舵を切った国は今のところないスウェーデンは集団免疫シナリオかもしれないが、感染スピードのコントロールはしていない)。世界中で差別自国中心主義の勢いが強まっていくのが、今の時点で最も可能性の高い今後の世界だろう。
 そのような世界を尻目に、この国のトップは、自宅で犬と戯れ布マスクを配布するので安心と主張し、国民の不安に応えるための会見はすぐに打ち切りながら、不要不急の改憲については自ら進んで発信する、という姿が目立ってしまったため、今のところ国民の信用を勝ち得ていない
 どういう見通しを持っているのか、外からは窺い知れないが、いつ吹いてくるのか分からない神風ワクチン)が起こるのを待っているということなのかもしれない。
 現在の危機は今の政府に指揮を執ってもらうしかないがそもそも今の総理大臣に危機を収束する能力があるのだろうか、というのは、ひとつの疑問だろう。
 能力があればもちろんそれでよいし、仮にないということであれば、どうするか。それも簡単な話ではある。収束してくれそうな人に、交代を頼めばよい。野党にいい候補がいないから今の政権が続いているということであるなら、与党の中から選べばよい野党にも意見を聞いてこの人ならという人を選んだらどうか。誰がなったとしても、現時点での最大の政治課題はコロナの収束である。信用ということも含めてふさわしい能力がある人なら、誰でもいいだろう誰にとっても対応するのは難しい危機だが、現在の政府がうまく対応できないということであれば次にふさわしい人を選ぶぐらいのことをするのは政権与党の責任だろう。

 コロナ通信は、これで一区切りである。


プロフィール

N

Author:N
愛知県在住
職業:内科医
年齢:30歳代

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